サンドアートの歴史


 ひと口にサンド・アートと云いますが、これにはいくつかの種類があります。ここでいうサンドアートはボトルサンドアートといわれる種類に属するもので、ガラスの容器に砂を落しながら模様などを描く技法です。
 現在、中東ヨルダンは最も盛んな地であり、多くの職人アーティストが存在します。注文に応じお客の目の前で作品を仕上げていく素早い動きは見事なものです。また、じっくりと取り組み完成された作品は芸術品といえるレベルのものです。


 口の狭い瓶を用いることが多いため道具も工夫されており、ジョウゴから砂を落しそのまま
ジョウゴの先で描いてゆきます。

また中南米ブラジル・コロンビアでもヨルダンほどで盛んでははありませんが、ほぼ同様な方法で製作されています。当時は岩を砕き着色なしの自然の色を用いているため、色数が少ないモノトーン的なものが主でした。
歴史的に見ると古くはネイティブアメリカン達の儀式において、砂や岩を削って宗教的な意味のある図形などが描かれていました。儀式が終わると元の砂に戻してしまうため、残されたものはありません。同類のものとして、チベットの僧侶が儀式に使用する風習があげられます。

1770年代には宗教的儀式とは別に小瓶に模様を描いたものをネイティブアメリカンが白人達に販売していた記録があり、これがボトルサンドアートの原型と云われてす。この手法は長い期間を経てアメリカからヨーロッパに伝わり、現在はハワイ、ブラジル、コロンビア、中近東などで、お土産として観光客に人気のあるものとなっています。それぞれ特徴があり面白いです。


このようなサンドアートの歴史の中で必ずお話ししなければならないある人物を紹介します。
アンドリュークレメンツ(1857 – 1894)がその人です。
彼は1857年(江戸時代安政4年)アイオワ州ドゥビュークで生まれました。幼い頃、アンドリューは脳炎を起こし、それがもとで耳が不自由になり、ろう者学校への入学を余儀なくされました。

サンドアートのきっかけとなったのはピクト・ピーク州立公園を訪れた夏休みでした。
岩の微妙な色の違いに魅了され、色ごとにコレクションすることから始まったようです。

小さな薬瓶に砂の砂粒を入れ、接着剤を一切使用せず圧力だけで形を保持する方法を使い、
初歩的な作品を作り始めました。当初のモチーフとしてはピクト・ピーク州立公園の海岸沿いの岩肌をイメージし、砂を重ねるだけの波模様やダイヤモンド模様を多用した作品が主でした。その後、単純なものから脱皮しテクニックを向上させていきました。その知識欲はグラディエーションを取り入れた、風景などの複雑なデザインまでを可能にしました。
色の濃淡を微妙に表現することこそサンドアートの極地であるとの結論に至ったのです。
アンドリュークレメンツの作家としての最盛期は1880年ー1886年でほんの6年間です。
ほとんどの作品はこの期間に作られています。今から138年前です。驚きですね。作品の主なテーマは、蒸気船、花、イーグル、フラッグです。これらは当時の船乗りたちに珍重されました。


彼は時々、器により面白い手法を用いています。たとえば下記のような花瓶ですが、まずイメージの多くを逆さまに描き、完了すると、しっかりとボトルにストッパーをして、それをさかさまにします。これで何の変哲もない花瓶がおしゃれなインテリアに生まれ変わります。
現代の我々でもその斬新さに驚かされます。
 
生涯、数百の作品を作りましたが、現存しているものはわずかです。以下の作品が2012年アイオワ州におけるアンティークオークションで75000ドルで落札されています。
長い時を経た自然の砂は130年の時を経ても変わらない美しさを保っています。

後継者もなく130年間これを引き継ぐものが存在しなかったため、残念ながら彼のサンドアートは一代限りで終わりました。37歳という若さでこの世を去りました。引き継ぐものがいないのは、周りの人々も自分達にはは不可能と考えていたからではないでしょうか。その後100年以上も進歩なく低迷しています。果たして現在に蘇るのは不可能でしょうか・・
彼はそれを待っているのかも知れません。